チュラロンコン大学大学院生のブログ

留学未経験&IELTS6.0で海外大学院へ進学しちゃった私の奮闘記。

タイ大学院 修士論文について①

 

 

あけましておめでとうございます、Lalaです。

 

早いもので、先月をもって大学院生活の4分の3が終わってしまいました。

来学期卒業の予定ですので、残り約半年間は学業に専念しつつ院生ライフをタイで思いっきり楽しみたいと思います。

 

本年もよろしくお願いします。

 

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それでは予告どおり、今回は院生の集大成である修士論文について紹介します。

 

 

まず現在の私の進捗状況ですが、

研究計画書の発表試験も無事に通過し、そのあとに委員会から承認を得るための書類作成がほぼ完了した

というところです。

 

 

準備段階で予想よりもはるかに多くの時間がかかっているのが本音です。

が、これは私がのろまなわけではなく、執筆過程において踏まなければいけない段階が想像以上に多かったという感じです。

 

実はまだ肝心の調査に着手できていません。2月には実行したいと考えていますが。

ただ私の場合は調査自体は1週間対象地に赴いてインタビュー等を行うだけの予定ですので長い期間は要さないです。

 

 

前置きが長くなりましたが、ここで私が修論でいったい何について研究するのかを説明します。

 

私の修論のタイトルは『1975年以降のラオス社会においての国民アイデンティティ構築における伝統衣装(シン)の役割について』です。

1975年から現在に至るまでの間で、ラオス人の間での国民アイデンティティ構築において伝統衣装がどのような役割を果たしてきたか を研究します。

 

1975年というのはラオスが建国された年です。ベトナム戦争をも含む長い内戦の末に現在のラオス人民民主共和国が設立されました。

多民族国家ラオスには政府が公認しているだけでも49の民族が住んでおり、ラオス人としてのアイデンティティを持っていない人も少なくありません。数少ない社会主義国であるラオスは、建国当初から"仲間"は少なく、貧しいながらも自らの力で国力アップをしなければなりませんでした。

 

そのもととなるのが、「ラオスに住む人々が各民族ではなく”ラオス人”として帰属意識を共有すること」でした。国内で分離独立運動が起きているようでは、発展や開発はできません。国民が一つの集団として仲間意識を持っていることが最低条件です。

 

皆さんは着物を着た時に日本人としてのアイデンティティが沸き上がることはありませんか?「私は日本人だな」「日本人として誇りに思うな」「やっぱり着物が好きだな」などなど衣装にはアイデンティティに作用する大きな力があります。

 

そこで私の修論ではラオス女性の伝統衣装であるシンが国民アイデンティティ構築の上でどのような役割を担ってきたのかを研究します。

 

ラオスの民族衣装”シン”』 この長いタイトスカートが”シン”です、



 

私はチュラ大に進学する前から修論では「ラオスの民族衣装について」研究したいという風に思っていました。具体的なテーマの絞り込みは第2学期目から指導教員の先生と少しずつ進めました。

 

 

 

以下、現在までの時系列です。

 

2学期

・「ラオスの民族衣装について」という超大きなテーマを指導教員との面談を通して、「ラオスの民族衣装と国民アイデンティティ」という少し小さなテーマに絞り込み

・「民族衣装/国民衣装とアイデンティティ」というテーマで先行研究調査

・民族衣装/国民衣装とアイデンティティにはどのような関係があるのか、前者は後者にどのように作用しているのかを、先行研究をもとに定義

 

3学期

・研究計画書の作成を進め、24ページの計画書を仕上げる。

・『The transformation of traditional skirt (Sinh) and National Identity in Post-1975 Lao Society』というタイトルで研究計画書を提出し、計画書の口述試験を受験、合格。

口述試験でのコメントを受けて、論文のタイトルを『The role of traditional skirt (Sinh) in the formation of Lao national identity in Post-1975 Lao society』に変更

・アンケートやインタビューなどの調査を始めるにあたり、大学の論文委員会に提出する書類の作成 ←いまココです。

 

 

私の同級生には、45ページの研究計画書を作成していた人もいました。計画書の段階で分量では修論の半分を書き終わったということになります。

 

ここまでで修論を進めてきて感じたことは、やはり修士論文は大変だということです。

今の私だから言えることですが、学士論文なんてただのレポートに過ぎないという印象です。修論は最終的には出版する必要があるため、調査に進む段階でかなり厳格なルールにのっとらなければなりません。

 

今進めている委員会に提出する書類には以下のようなことを詳細に記載します

- インタビューは誰にするのか?

- なぜそのような人がインタビュー対象者となるのか、根拠は?

- 対象者はどうやって選定するのか?

- 何人にインタビューして、なぜその人数が妥当なのか?

- 調査をするあたり、何にいくら必要か? 航空券代、宿泊費、食費、交通費など

- 調査対象地がその都市(私の場合はラオスの首都ビエンチャンと古都ルアンパバーンを選択しています)になるのはなぜか?

などなど。

 

挙句の果てに、私は調査対象者がラオス語を母語とするラオス人であるため、この資料の大半をラオス語翻訳したものも提出しなければなりません。

 

 

想像していた以上に大変であるというのが本音です。

最近は 本当に来学期で卒業できるかな? と不安になってきました。

 

 

この修論については随時また新しい記事を更新していきます。

 

それではまた。

 

 

Sincerely,

 

 

Lala